2015年 廃墟の上の公園

井高 久美子

プロミス・パーク-未来への文様のイマジネーション
インスタレーション/パーク・アトラス(公園のアーカイヴ)

  • 会期:2015年11月28日(土)〜2016年2月14日(日)
  • 会場:山口情報芸術センター [YCAM]

2015年、3年にわたりおこなってきた文献調査やフィールドワークの集大成として、2つの新作インスタレーションおよびパーク・アトラス(公園のアーカイヴ)として公開した。

廃墟の上に造られる公園

アーティストステイトメントより (2015)

公園とは、自然を模倣した人工的な空間で、それは人々に休息と平穏をもたらします。しかしながら、「プロミス・パーク」は一般的な公園とはやや異なる「休息」と「平穏」を提示するものです。

一般的な公園は、新しく造られる過程で場所の歴史や記憶を消し去ってしまいますが、プロミス・パークは、断片的に、そして各地に散在する廃墟(遺構)の上に造られます。廃墟は人類の試行錯誤の証であり、そこには人類の歴史や場所の記憶が埋め込まれているのです。

この新しい公園は、社会構造が崩壊し、再建される中で、自然、人類、都市や共同体の共生の可能性を探求し、本質的な公共性の意味を可視化します。そして、場所の歴史や記憶からの気付きや、ユートピアのような人々が切望する世界への問いかけを育むとともに、休息や平穏の本来の意味を再定義するための、新たな始まりに向けたプラットフォームとなるでしょう。 私は、現代における「公園」の本来の意味を新しく解釈し、提案したいと考えています。この公園はそのための出発点として、人々へと届けるものになります。

ムン・キョンウォン

2つの絨毯とパーク・アトラス

膨大なアーカイヴに対峙し、それを紐解こうとする時、人間の知識や知覚は頼りなげなものに映る。「プロミス・パーク」では、様々な文化圏にみられる文様(パターン)のように、抽象化された情報同士の跳躍的な結合をもたらす発想の根幹として、東洋の神仙思想における「縮地」の概念に着目してきた。長大な時間が積層した都市空間のイメージは、織物として縮約される過程で文様として抽象化され、さらに経糸と緯糸というバイナリに解体されていく。

このような過程を経て生成される絨毯は、膨大なアーカイヴが縮約された知のアーカイヴとして捉えることができ、さらに空間に展開することで、新たな人間の身体や知覚を発動させる表徴となりえる。公園/庭園は、多様な景観を圧縮して冷凍保存する装置であり、東洋の庭園は、抽象化と縮約をきわめる究極の空間と考えることができる。このような縮地の観点からみると、絨毯を移動する公園/庭園とみなすことも可能である。

映像が多数連結されたインスタレーション、映像の絨毯である。公園と比較する意味で、同じく近代化の下に生み出され、時代の潮流の中で急速に役割の終焉を迎えた近代化産業遺構の「廃墟」をフィールドワークし、映像収録をおこなってきた。囲い込みによる土地機能の限定化から勃興した西洋の産業革命が、近代化の一つので溯源であることを考えると、終焉を迎えた近代化産業遺構と、時代の潮流から切り離され、浮遊した存在である公園とは、ある意味で陰陽の関係にも見えてくる。特に、廃墟となった近代化産業遺構の現在進行形の姿として、自然が浸食していく緑化のディテールにも注目して観測する。

インスタレーションの制作は、山口県内および九州地方の廃墟(近代産業遺構)を調べることから始まった。山口県内および九州地方は、地質的に鉱物資源に恵まれ、明治期の近代化や、昭和の高度経済成長を支えて繁栄した。未だ、炭鉱や鉱山の跡地が多く残る場所である。

産業遺構をリスト化し、一つ一つを訪ねる中で、多くの廃墟が経年変化の限界に達し、徐々に取り壊されている現状に遭遇した。最終的 に、山口県内に残された重要な廃墟から、4つの場所を選定し、また、長崎県にある近代産業遺構である軍艦島を象徴的な遺構として記録した。

  • 小郡上水道[1923年(大正12年)─戦後(詳細不明)]
    山口県山口市小郡(おごおり)
    水道設備跡
  • 河山鉱山[1658年(万治元年)─1971年(昭和46年)]
    山口県岩国市美川町(みかわまち)
    鉱山跡(銅、硫化鉄、銀、亜鉛)
  • 軍艦島[1810年(文化7年)─1974年(昭和49年)]
    長崎県長崎市
    海底炭田跡
  • 山陽無煙炭鉱業所[1877年(明治10年)─1971年(昭和46年)]
    山口県美祢市(みねし)大嶺町
    炭鉱跡
  • 長生(ちょうせい)炭鉱[1914年(大正3年)─1942年(昭和17年)]
    山口県宇部市
    海底炭田跡

これらの炭鉱や鉱山の中には、近代化以前より鉱物を採掘してきたものもあるが、近代化による重工業の発展から生産量が増加することで、繁栄を極めたものがほとんどである。しかし、石炭から石油へのエネルギーの移行や、痛ましい事故などを背景に、炭鉱・鉱山としての役目を終え廃墟と化していった。また、小郡上水道の堤が建造された背景にも、明治期の近代化による都市機能の拡大の影響がある。都市機能が拡大したことにより、爆発的な人口増加が起こり、疫病蔓延の予防的な観点から、水道の整備が求められた。昭和に入り、現代的な水道設備が整備されたことにより、堤は廃墟と化した。これらの廃墟は、現在の時間経過とは切り離された存在として都市空間に存在し、人工物の劣化や緑化といったある種のパターン(文様)を内包する。文様は、本来、規則的に繰り返す様式を指し示すが、これらの廃墟の文様は、人々に、繰り返し変化し経過する「時間の経過」を想起させ、それと同時に、現在の都市空間が、未来においてどのような時間経過をたどるのかを予見させるものである。

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メディアとしての絨毯[阿部 一直]

織物の絨毯

山口・九州各地の4つの象徴的な廃墟を上空から撮影した映像をもとに、ムン・キョンウォンが廃墟の要素をコラージュした文様を、西陣織によって織りあげることにより巨大な絨毯を制作した。絨毯は会期中に増殖し、展示空間の床面を覆い尽くしていった。

廃墟の文様が織り込まれた絨毯は、空間に増殖していくことで、有機的に境界を変化させ、終わりのない状態、連続性を呈示する。

絨毯には、西陣織の特徴的な技術の一つである銀箔が織り込まれており、コンピューター制御によって繊細に変化するLED照明によって、刻一刻と色合いが変化していく。照明の色は、外光の光をセンシングすることにより変化する。絨毯の上面には、4台のモニタが設置され、廃墟・織機・絨毯の映像が繰り返し立ち現れる。コンピュータープログラムによって、これらの映像が織物の縦糸横糸のように解体され、映像上で編み上げられていく。空間が縮地し、絨毯の模様が生成され、織り上げられるプロセスが明示化される。また絨毯の映像は、ロボットアームに取り付けられたカメラによって撮影されたリアルタイムの映像である。カメラでは、外光と照明の変化に影響された絨毯のディテールを撮影する。ロボットアームの動きによって、カメラがゆっくりと水平にパンニングし、絨毯の図柄、素材の表情、織の組織構造がランドスケープとなってモニタに映し出される。また、サウンドは、廃墟にてフィールドレコーディングした音源を、マルチチャンネルのサラウンドな音の環境で表現したものである。2台のパラメトリック・スピーカーによって、スポットライトとともに声が降り注ぐ。声は、公園にまつわる人々の記憶を集積したものであり、スポットライトとともに、徐々に移動しながら、現れたり、消えたりする。

また、絨毯とシームレスにつながる中庭の空間には、5.1チャンネルのサウンド・インスタレーションが設置された。実際に織物がおられる織機の音を収録し、ダルパラン(音楽家)が、床下に設置されたマルチチャンネルのスピーカーより、微細な虫のような織機の音を表現した。

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古舘健インタビュー

映像の絨毯

ムン・キョンウォンにより撮影されたドローンにより、近代産業遺構の廃墟を上空から撮影した高精細な映像に、CGで描画された廃墟の上に立ち上がる「未来の公園」を描き出した。

パーク・アトラス

公園をめぐる記憶のアトラス

本展では、ゲスト・リサーチャーの原瑠璃彦(日本庭園)と他の研究協力者、及びYCAM InterLabの共同でおこなった、過去における公園の系譜の研究調査成果を「パーク・アトラス」として公開する。そこでは、世界中の種々の公園と山口市内の石アーカイヴという、西洋モデルと東洋モデル、近代以降と近代以前、マクロとミクロ、包括的空間と発散的空間といった相対立する2つの系譜が「アトラス」の手法によってプレゼンテーションされる。膨大な図面、写真、映像、絵画、テクスト、年表、ビブリオグラフィー、3DCG等の多様な情報をマルチ画面による映像の形式で、絶えずその組み合わせ・順番を変えながら配列する。この新しいアトラスによって、時代背景に裏打ちされた公園の系譜の生成過程が分析され、その歴史における諸要素間の接合や変化、跳躍が見出される。

  • 近代公園の濫觴
    • ハイド・パーク(ロンドン)
    • セントラル・パーク(ニューヨーク)
    • 上野公園(東京)
  • 公園の思想の新たな展開
    • ムンダネウム計画(ブリュッセル/ジュネーヴ/モンス)
    • アンドレ・シトロエン公園「動いている庭」(パリ)
    • 山口市中央公園(山口)
  • 近代以前の公園的空間の系譜
    • 山口市の石アーカイヴ(市内32箇所)

近代公園の成立とその発展

公園の事例として取り上げられるのは、まず、近代公園の濫觴と言うべきハイド・パークとセントラル・パーク、および、その日本への移植例である上野公園である。さらに、それ以降現出した、新しい発展的公園コンセプトの事例として、「情報学の父」と呼ばれたベルギーのポール・オトレによるムンダネウム計画、フランスの造園家・思想家ジル・クレマンの「動いている庭」が設置されるアンドレ・シトロエン公園、さらに、YCAMが隣接する中央公園が扱われる。

石たちの星座から浮かび上がる公園的空間の系譜

公園は近代以降に成立する装置であるが、当然ながら、近代以前にも自然的な要素を条件とする公共空間、言わば公園的空間は存在した。その系譜を日本において探るならば、古代から現代に至るまでの都市の中に存在する、様々な時代の層が刻みこまれたアーカイヴとしての石が手がかりとなる。石は半ば永続的な恒常性を保つ性質から、時代時代で意味や役割を付加し、また変容させながら、公共空間の要として都市に存在している。YCAMが位置する山口市の盆地周辺広域を一つの公園として見立て、32箇所の石をめぐるリサーチとフィールドワークをおこなった。石の意味を物神的な宗教性にとどめず、石が置かれた地勢との関連、及び、各石同士の位置関係から捉えることで、多層的、多時間的な公共空間の思想が浮き彫りになる。

井高 久美子
Kumiko Idaka

1982年生まれ。キュレーター。東京芸術大学大学院 映像研究科修了(修士)。映像表現を中心に、デジタルデバイスなどの開発に携わりながら、作品制作やワークショップを企画。2012年より現職。主な展覧会に「プロミス・パーク ─ 未来のパターンへのイマジネーション」(2015)、「MEDIA ART/KITCHEN 地域に潜るアジア:参加するオープン・ラボラトリー」(2014)などがある。近年はメディア技術の視点から、ローカルコミュニティと共に、地域資源のリサーチやプロジェクトの企画を行っている。