2014年 都市としての公園

井高 久美子

プロミス・パーク・プロジェクト[リサーチ・ショーケース]

  • 会期:2014年11月1日(土)- 2015年1月11日(日)
  • 会場:山口情報芸術センター[YCAM]ホワイエ

2013年にムンが発表した「プロミス・パーク」を受けて、YCAMを中心に、未来の公園を考える上での糸口として、文化史・民俗学・芸術史・メディア史・建築史などの多領域から招いたゲスト・リサーチャーと共同でリサーチをおこない、研究成果をリサーチ・ショーケースという展示形式で公開した。

展示では、テキストや資料に加え、調査・研究の成果をVR(バーチャル・リアリティー)などの技術により感覚的に映像資料を体験できるシステムや、これまでYCAM InterLabが研究開発をおこなってきた基礎技術をデモンストレーションも含めながら紹介した。

A|アーカイヴ・パート

アーカイヴ・パートでは「未来の公園」について考える上で参照とする、文化史、民俗学、建築史、芸術史、メディア史などの歴史的な事象について、3つの異なる研究事例を列挙して紹介した。

A1
St 1.0―《庭》の石から公園へ
原 瑠璃彦(東京大学、日本学術振興会)

1つ目の事例では、通常、公園の祖型と考えられる庭園のみならず、自然や都市における様々な場をも視野に入れ、その両者における「石」に注目し、日本古来の「公園的」空間の系譜を探る試みを展開した。人は、庭園という閉ざされた空間に、理想的な自然風景をつくって生きてきたが、日本の庭園の要にあるのが、石を立てることであった。石を立てることをめぐっては、縄文時代、人々が集落の中心に、祭祀の空間や集合墓地として作り上げていた環状列石にまで遡ることができ、これらは、そこから見える山々の風景や天体の運行との密接な関係を持っている。一方、かつて、道と道が交差する辻のような境界的領域は「市の庭」という、様々な人が往来するとともに、商品交換や芸能、占術といった多様な活動が行われる、日本古来のオープン・スペースとも言うべき場であった。石はそのような空間にも置かれ、その場所を守護し、邪悪なものの侵入を防ぎ、また、子孫繁栄、商売繁昌を保証する神として崇拝されてきた。

これらの思考を背景に、プレゼンテーション1では、庭園と環状列石を同一平面上に置き、それらの石の配置と周囲の山勢との関係を探るシステムを公開し、プレゼンテーション2では、庭園の外における、石と人々の生との関わりにより微視的にアプローチするため、山口市内における様々な石をめぐって行われたフィールドワークの成果を多角的に提示した。

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St 1.0―《庭》の石から公園へ

A2
千年村プロジェクト 千年村運動体

2つ目の事例として、早稲田大学の中谷礼仁研究室(建築史)、千葉大学の木下剛研究室(造園・ランドスケープ)・京都工芸繊維大学の清水重敦研究室(都市・建築史)などが参加する活動組織により運営される「千年村プロジェクト」を紹介した。〈千年村〉とは、千年以上にわたり、度重なる自然災害や環境変化を乗り越えて、同じ地形を維持しつつ、生産と生活が持続的に営まれてきた集落・地域のことを指す。「千年村プロジェクト」は、建築史学、建築デザイン、社会環境工学、造園学、景観デザイン、民俗学、歴史地理学、ウェブデザインに携わる研究者・実務者が参加し、自発的な意思によって運営される調査・研究のためのプラットフォームである。ウェブサイトでは、詳細調査事例や、地質図、航空写真、迅速測図を含んだ地図上に千年村をプロットして公開することで調査過程をオープンにしているほか、本展では、千年村を集落上空から撮影した映像資料の公開をおこなった過去千年以上に渡り営まれた集落を分析することで、千年後の共同体の在り方について予見するひとつの手がかりになると考えた。

A3
1973年のニューヨーク、セントラル・パークを辿る
西 翼(アシスタント・キュレーター、YCAM)

3つ目の事例は、近代的人工都市の最先端事例と見なされるニューヨーク/マンハッタン島と、その中の疑似自然ともいえるセントラル・パークの歴史と分析を取り上げた。目まぐるしく変化し続ける自然環境と人との関わりを考えるために、アーティストのロバート・スミッソンは都市型社会における「公園」、セントラル・パークに関する論考を残した。セントラル・パークは、人工増加の著しい19世紀後半のニューヨークで、造園家のフレデリック・ロー・オルムステッドらにより設計された都市型の公園である。オルムステッドは、数百万年前の氷河期に地形が受けた影響について調査した上で、造園設計をおこなったといわれている。スミッソンは、このような過程を経て設計されたセントラル・パークを、環境変化や人為の介入が交錯する場所として捉え、絶えざる変化の過程の堆積に興味を示している。さらに1人称的視覚からのルポルタージュによって生きられる空間としての価値から公園を捉えている。スミッソンの論考を元に、オルムステッド、スミッソン両者の思考を辿りながら、地勢、自然環境の変化、それに内包される人々の営みの変化と都市空間の変遷、それらの総体としての「公園」を、空間と時間の2つの側面から読み解いた。

AからBへの接合
芸術史にみられる空中庭園、浮遊する空間
阿部一直(チーフ・キュレーター、YCAM)

芸術史の中で「公園」は、まさに百花繚乱のように多彩な事例が現れる。このパートでは「公園」の「囲われた空間、囲う行為」という特色が担う象徴性や特異性が、芸術表現の中でどのような世界観と関係付けられていくのかを考えている。そもそも「公園」が、庭園を経由して、現世から隔絶された楽園(理想郷)のイメージとどこかで通底していることは、古今東西のどの文明史においても見い出すことができる。囲われた圏域を生み出すことで、公共空間でありながら、「公園」が外部の周囲の環境や文脈を異化する存在であり、内部では視線や知覚を変質させる仮想性や跳躍性を生み出していることが考えられる。「公園」と「公園」の外を隔てるイメージの境界とは何だろうか。公園というフレームワークが設定されることで生起してくる多層的な事象、それを芸術作品の中を跳躍することで見出していく作業である。あるいは公園と公園の連鎖や、さらに公園の外にある公園的空間との入れ子状のネットワークの増殖的連鎖が芸術的想像力の中では強い意味を持ってくるだろう。

B
フューチャー・パート 未来の知覚──人間と技術の境界 YCAM InterLab

「未来の公園」は、技術の進展による共同体と個人、人間とテクノロジーの境界の変化に無関係ではない。ネットワークに常時接続されたコンピューターを身体の一部のようにまとい、高度な人工知能が人と対話し、現実空間とバーチャルな情報空間が境目なく、人間の意識の中で接合される社会はすでに現実のものになりつつある。また、心拍、筋電、脳波などの生体情報のセンシングの発達、クローン技術や遺伝子操作などのバイオテクノロジーの急速な進化により、人間以外の、その他の動物、植物といった生命体も、工学技術と高度にシームレス化した状態で接合しようとしている。このようなテクノロジーとネットワーク化した社会の高度な融合と進展が、人と技術の境界を限りなく消失に近づける一方で、また逆に予想を超える新たな境界を生じさせることだろう。このような状況下で、都市空間において、公共と個人が接続する「公園」について、人と技術の境界が変質したとき、囲み込まれた場である「公園」の在り方や、また「公園」がいかに内在化される可能性があるのかを論点に、YCAM InterLabが開発した技術を紹介しつつ検証した。

井高 久美子
Kumiko Idaka

1982年生まれ。キュレーター。東京芸術大学大学院 映像研究科修了(修士)。映像表現を中心に、デジタルデバイスなどの開発に携わりながら、作品制作やワークショップを企画。2012年より現職。主な展覧会に「プロミス・パーク ─ 未来のパターンへのイマジネーション」(2015)、「MEDIA ART/KITCHEN 地域に潜るアジア:参加するオープン・ラボラトリー」(2014)などがある。近年はメディア技術の視点から、ローカルコミュニティと共に、地域資源のリサーチやプロジェクトの企画を行っている。