対談 ムン・キョンウォン|伊東豊雄による「都市と未来の公園」

井高プロミス・パーク・プロジェクトは、2013年から3年の時間をかけて、未来の公園について考えていこうというアートプロジェクトで、ムン・キョンウォンさんと山口情報芸術センター[YCAM]が共同で進めてきた研究調査と作品制作になります。2015年11月28日〜2016年2月14日の会期でプロジェクト最後の完結版のような形で、総括的な大規模な展覧会を開催します。プロジェクトは今後も続いていく予定ですが、この展覧会を切っ掛けとして、今日はこういう形でトークイベントを開催させていただく運びとなりました。

早速、ムン・キョンウォンさん、それに続きまして、今日、ゲストでお迎えしている建築家の伊東豊雄さんに簡単にプロジェクトのご説明をしていただき、第2部としてトークセッションという形で進めさせていただきたいと思います。

ムン今日はお集まりいただき、ありがとうございます。

私はこれまで、個人と歴史、個人と社会といった関係の中で生まれる様々な衝突や現象にフォーカスを当てながら、アートは果たして何ができるのかということを個人の課題として考えてきました。もう一方では、韓国人アーティスト、チョン・ジュンホと、2009年からNews from Nowhereという共同プロジェクト行っており、これは先ほど申し上げた、アートは果たして何ができるのかという私の個人的な問いからスタートし、個人の人生に対してアートがどれほどの有用性があるのか、また、社会的な役割として、どういったことができるのかということを研究するプラットフォームとして行っております。このプロジェクトは、最初にドクメンタ13(2012)で発表し、その後はシカゴ(2013)やチューリッヒ(2015)などに巡回しています。

このようなコラボレーション作業の過程でご縁があり、今日、ゲストとしてご出席してくださる伊東豊雄さんと知り合うことができました。伊東さんは私たちの展示会の招待にも応じてくださり、ドクメンタにも来てくださいました。この場をお借りして、感謝を申し上げたいと思います。

また、チョン・ジュンホと私はヴェネチアで行なわれているヴェネチア・ビエンナーレに、韓国パビリオン代表として参加しています(2015)。こういったコラボレーションを行うことで、私個人としての作業に対する情熱も高まってきました。そして、YCAMの10周年記念祭(2013)にも参加させていただくことになり、今回、「プロミス・パーク・プロジェクト」に携わり、3年間、YCAMのスタッフの皆様と一緒に仕事をしてまいりました。

このプロジェクトに参加するにあたり、私は自らに対してこういった問いを投げかけました。「未来の公園の姿は、いったいいかなるものなのか?」。都市が近代化して発展すると、人々はその中に人工的な自然の塊である公園をつくり出します。自然を自分たちの都市の中に取り入れ、都市に彼岸の世界を偶像化する。それが、まさに公園というシンボルではないかと思いました。公園は個人の理想郷であり、理想の具現化でもあると思います。人類史を通し、時代の精神を反映していたところが公園だと思います。

また、文明に対する抵抗心、本質的な人類愛といったものも公園の本来の姿に含まれていると考え、このプロジェクトをスタートいたしました。そして、すべての文明が破壊されたあと、廃虚になった地球上で、未来の公園というものはどういった形のものになるのか。非常に抽象的な問いかけになると思いますが、まずは私の想像力を発揮して最初のビデオ作品(”Promise Park”(2013))をつくりました。

公園というものは個人の理想郷から始まりますが、そのあとパブリックな場となり、他人とコミュニティを形成する場となります。また、人と自然の関係というものも公園の中に生まれます。ということで、私は公園の中に人の実存性というものまで追究することができると思い、まず、不確実性のある公園の姿を描いてみました。これは、2013年に初めてこのプロジェクトに参加した際につくったビデオです。YCAMの方々とともにリサーチをして、最初に持っていた私の漠然としていた考え方がさらに発展し、こういった形になりました。

これはリサーチ・ショーケースとして、2015年に行なわれた展示会の様子です。

こちらは私がリサーチする過程で教えていただいた、短編漫画のイメージで、1976年に出版された藤子不二雄の『みどりの守り神』という漫画の1ページです。私は非常にショックを受けたのですが、1976年に漫画家が描いた未来の公園の姿が、私の考えているものと非常に似ているイメージをつくり上げていたということです。

このリサーチにより、私は二つの成果が得られたと思っています。 一点目は、テクノロジーの進化により私のものの見方も変わってきているのではないかということ。今回のリサーチではドローンを使用し、全知視点ということで、廃虚を上から俯瞰する方法で調査を行いました。人が歩く際に見ている視点と上空からの視点というものは違います。その違いによって、人の考え方も変わるように思います。

そして次に、歴史における過ちの現れです。人間が追究してきたユートピアが、こういった形で廃虚としてディストピア化し、それが歴史上、繰り返されてパターンになっているのではないかと思いました。これは目に見える形ではなく、私たちが歴史的に繰り返してきた間違いのパターンであり、それを実存的な形で紐解いていると思いました。よりディテール化しているイメージです。

プロミス・パークは、映像と絨毯の二つの方法論をもって展示される予定です。

では、なぜ私は絨毯をつくることになったのか? 絨毯を織り込むという行為には、さまざまなシンボルが反映されていると思います。これまでにリサーチしてきた廃虚の結合や過去の記憶を喚起し、それを治癒して再生産を促していくということ。

また、絨毯を敷くという行為は、その場をプラットフォーム化することを意味します。もともとある場所の性格を変え、展覧会を行なう場を公園化していくことができる。そこで、観覧者の考えも変えることができる。さらに、絨毯を敷くことで、その上に人々を呼び寄せ、出会いの場所にすることができると思いました。それは、廃虚を公園化することにより、そこにもう一度人々を呼び寄せられるという意味があります。ですので、このプロミス・パークは、今月で終わるようなプロジェクトではなく、これからも発展していく進行形であるということをまず申し上げたいと思います。

さまざまなシンボルとしての公園がすべて溶け込んでいる、象徴性のある新しいプラットフォームが美術館の中に絨毯として表現される。それは、未来の公園を指すものではありますが、理想郷を提案するようなものではありません。絨毯は発想によって織り込まれ、それをこれまでの歴史の地層の積み重ねだと受けとめることができます。つまり、発想で織り込まれている絨毯の上で理想郷としての公園を考えてみる。そういった一つの場を提案するという意味があります。

今日は時間的な制約があり、具体的なディテールにつきましては申し上げられませんが、今、申し上げた制作物が私のアーティストとしての創造力の結果として、11月28日、YCAMに設置される予定です。ぜひ皆様、足を運んでいただいて、直接、目に触れていただけたらと思います。

井高続きまして、ムンさんのプレゼンテーションを受けて、伊東豊雄さんに、ご自身のプロジェクトについてご紹介いただきます。伊東さん、どうぞよろしくお願いいたします。

伊東今のお話は大変美しい、かつ抽象的なプレゼンテーションで、皆さんの中にいろいろなイメージが沸いたのではないかと思います。その一方で、空想の世界に行ってしまって、現実から離れてしまっているようなところもあるので、それをどうやって、もう1度、現実の世界と結び付けていけるのかというような話ができればと思います。

まずは、ムンさんとの出会いについてです。

先ほどもお話がありましたように、2012年にドクメンタ13で彼女たちが展示をしたときに、僕は「みんなの家」のプロジェクトを出してほしいと言われました。そのとき、なぜ「みんなの家」がそこに展示されるのか、僕は意味をよくつかめず、どうしたらいいのか迷っていたのですが、今日の話を聞いてようやく分かった気がしました。今日のムンさんの廃虚という話と、3.11の津波に遭って廃虚のように人が住めなくなってしまった町が、今、僕の頭の中で繋がったからです。僕も、何もなくなってしまった街から、未来に向けて何か力が得られるようにお手伝いができればと思って、特に釜石という町に通いつめたわけですが、結局、何もできませんでした。なぜかというと、その土地の歴史を継承しながら住んできた人たちと、近代の考えでは暮らし方が違っていて、そのギャップを解決できなかった。というか、近代の巨大な力が、歴史を押しつぶしつつあるという問題です。

例えば、防潮堤という、巨大な技術によって自然を克服するお化けのような壁があります。釜石では30年かかって、中心部の湾に面して巨大な防潮堤をつくりましたが、東日本大震災の津波によって一瞬にして壊された。それにも関わらず、これからまた同じ防潮堤をつくろうとしています。その背後には、人間が自然を克服できるのだ、という思想があります。

しかし、新たに防潮堤をつくったとしても、今回、津波が押し寄せたところに住んではいけないため、住民はみんな高台に押し上げられ、2~3年のうちに仮設住宅から公営住宅ができる。その公営住宅が、また近代そのものの産物なのです。要するに、単に箱を積み上げただけのものです。

そこで僕らは、どうせ防潮堤をつくるのなら、公園のような防潮堤ができるはずだ。公営住宅にしても、この土地で今まで受け継がれてきた歴史を継承するような公営住宅があるだろう。そういう提案を幾つも行なったのですが、結局、何も実現しませんでした。そのときに唯一できたのが、「みんなの家」というプロジェクトだったのです。

これは、役所が土地だけは提供してくれましたが、他は僕らが自分たちで寄付を募って、十数軒の「みんなの家」ができました。それは公園ではないけれども、廃虚の中にできた未来の公園のようなものだったわけです。

今日は、その話と、立ち上がってくる公園という話が僕の中で繋がりました。 今日、ムンさんのスピーチの中には面白い言葉がたくさんありました。また、今日のためにYCAMから送っていただいた資料の中にも、とても面白い言葉がありました。印象に残っているのは、「公園や庭園は、さまざまな風景を圧縮し、冷凍保存した装置である」という文章です。

公園というより庭園と言ったほうが、はるかにいろいろな話に繋がってくるのですが、僕は建築をつくりながら、いつも日本の庭園をつくりたいと思っています。日本の庭園は、真ん中に池があって、そのまわりに茶室があったり、石が置かれていたり、特別な木が植えられていて、それを周遊するようなつくり方になっています。それは、西洋の庭園とは全く違うのです。巡る人が、自分でどういう選び取り方をするかで、自分の庭園空間ができあがっていく。僕は、いつも壁がなく自由な建築物をつくりたいと思っています。それは、自分の建築が日本の言語空間に繋がっていると思っているからです。
僕らが話す日本語には、言葉と言葉の間に余剰の空間がいっぱいあります。それが曖昧な広がり方をしていき、そこに無限のニュアンスが生じてくる。読み手はそれを読み取るし、話し手はそこに無限の余剰空間が発生するように言葉をつくり上げていきます。

でも、悲しいかな、建築にはどこかに必ず壁を建てなければなりません。内、外という問題があり、どこかに境界をつくっていかなくてはなりません。それは、自分にとっては、いつも悲しいことだと思っています。

「せんだいメディアテーク」という建築を見てください。50メートル四方の平面に13本のチューブがあります。それぞれチューブの働き方は違いますが、これを樹木に例えると、13本の木が立っている林の中を歩いているのと全く同じで、その間はどんなふうに使ってもいいんです。南側だったら暖かい日差しがあるからみんなが集まってくる。北の陰になっているところは、カップルでひそひそと何か食べていたりするかもしれない。そういう場所の違いがおのずから出てきます。日本の庭園と同じ考え方なのです。本当は、どこまでも続いていけるはずですが、どこかに敷地の境界があるので、そこを抽象的にカットするとしたら、その断面がファサードになっているものです。

井高伊東豊雄さんからのご指摘の通り、ムン・キョンウォンさんのアプローチというのは非常に芸術家らしい、イマジナリーな、浮遊する庭園のような形でプロミス・パークというプラットフォームを立ち上げ、いろいろな人たちの未来に対するイマジネーションを集結させる。それが、プロジェクトの肝になると思いました。

対して、伊東豊雄さんのほうは非常に建築家らしい、具体的で、空間の中にどう構想をつくるかというお話でした。それぞれ共通しているコンセプトでありながら、お立場の違いが出ていて、このプロジェクトを考えていく上でも、とても意義のあるプレゼンテーションをしていただけたと思っております。

このあとは、一つの切り口として、未来の公園を考える上でどういうプラットフォームをつくっていけばいいのかということについて、それぞれの立場からトークをしていただければと思っています。 伊東豊雄さんのプレゼンテーションを受けて、ムンさんのほうからご意見をいただければと思います。

ムン私も子どものときに、建築家に非常に憧れておりました。伊東さんは、人がその建築物の中で息づいているということを念頭に置いて建築をつくっていらっしゃる。私は、アーティストが持つ創造力で、社会とどういった繋がりを持ち、人々と呼吸することができるのかということを考える際に、伊東さんの作業というものは非常に学ぶところが多いと思っています。

私が今、手掛けております未来の公園。これは、伊東さんがおっしゃる庭園という概念の延長線上にあると思います。庭園というものが個人の思考を盛り込んでいく場所であるとするならば、それが幾つか集まり公的な概念として発展したのが公園であると思います。

また、未来の公園というのは現実から派生しているものなので、私たちが生きている現実から未来の公園を改めて考えてみようということを、今、やっているわけです。先ほど伊東さんがおっしゃったように、昔からあった公園や建築物をすべて解体し、その上に新しいものをつくるのではなく、歴史的につくられていたものをそのまま継承し、その上に新しい何かを付け加えていくのが公園ではないかと思いました。また、空間の間にある余剰の空間、それもまた時間的な概念のギャップの間にあるものなので、その中から可能性を見いだすことができるのではないかと思いました。

井高このプラットフォームとしてのプロミス・パークについて、伊東豊雄さんにお聞きしたいのですが、プロミス・パークは、具体的に何か社会に波及するというより、一つ上の段階で研究者やアーティストたちのイマジネーションが集結していくような、すごく抽象的なプラットフォームだと思います。
未来の公共空間を思考していく上で、こういうプラットフォームにはどのような発展の方法があるのか、何かご意見をいただけないかと思います。

伊東リサーチショーケースを拝見したわけではありませんが、石に着目されたというのはすごく面白いと思っています。日本では、観光地でも、小さな町や村を訪ねても、必ずいろいろな意味を持った要のような石が置かれていている。あるいは神社等でも、それをなでていくだけで安産になるという石があります。ムンさんのような映像を中心にした作家のプロジェクトと、そういう話が重なり合うというのは非常に面白いと思いました。

位相は全然違うのですが、最近の建築は、ジャンルの違う人たちのコラボレーションによって、織物のように織り上げられていくものなので、仮に僕が設計者でも、本当は何人かの共同作業です。そういう意味で、技術を応用していくことはアートの世界でも、われわれの世界でも広がっていくでしょう。

今回、映像を中心に活躍されてきたムンさんがカーペットをつくるというのも、すごく面白い発想です。カーペットをいっしょにつくられた京都西陣の細尾さんは、本来、伝統的な織物をつくっている場所ですが、今はすごく新しい技術を開発されていて、こんなに厚い、コラージュされたような、都市のようなカーペットができてくる。しかも、展覧会をやる度に成長していくという発想もすごく面白い。カーペットって、どこにでも持って行けるものですから、僕の建築の中にそれを入れてもらってもいいわけです。そこに未来の公園が集約されている。まさしく、冷凍保存されているわけですよね。

僕の中で、公園というものは日本で明治以降に近代化が起こったときに輸入されてきたもので、庭園とはかなり違うものだという思いがあります。公園というと、すぐに思い出されるのは三島由紀夫の『文化防衛論』です。その本の中に、「プラザの噴水のような」という言葉が出てきます。三島は安全無害なものという意味で使っているのですが、要するに渇ききっている。今、日本の公園の大半は、三島由紀夫が言ったようなプラザの噴水のような公園ばかりです。だから公園というと、僕の中ではピンとこない。庭園というと、そこにいろいろな意味が込められている。そんなことを思いました。

ムン今のお話を伺って思いついたことがあります。これまで、私は公園という言葉を使ってきましたが、おっしゃるように、この言葉は近代化のあとに西洋から入ってきた、輸入された概念ではないかと思います。つまり、人工的につくられる空間が公園なのです。

しかし、私たちが進めておりますプロミス・パークで使っている言葉は、伊東さんがおっしゃった庭園という概念に近いと思いました。つまり、個人からスタートし、そういったものが集まった精神的な考え、私有の空間、これが私の考えているプロミス・パークです。

今回のプロジェクトを進めていく中で、私がこれまでに想像してきたことを可視化し、それを実践することができるということもとても喜ばしいことですが、このように伊東さんとの出会い、また、同じような考えを持っている人に出会えるということも、非常にうれしいことであるということが、今回、初めて分かりました。

伊東ありがとうございます。私も今日、話を伺いながら新たに考えたことがあります。一つは、先ほどのカーペットというのは、まさしく地層だなと思いました。われわれが住んでいる東京のような都市は、今、高層ビルにどんどん変わっていきつつあります。しかし、その土地をちょっと掘り返すと、いろいろな歴史が積層されていて、それをサンプリングしたものがカーペットなんだというようなイメージを持ちました。

もう一つ、聞きながら初めて考えたのは、東北で「みんなの家」しかできなかったということに、僕には忸怩たる思いがあります。そこで、被災地ではない場所で、もう少し突き詰めてみたいなと思い、今、瀬戸内海の大三島という島に通っています。

十数年前まで、僕も行ったことがなかった島ですが、非常に小さないながら市が私の建築ミュージアムをつくってくださることになりました。これがきっかけになって通い始めたのですが、行って見るとミカン畑ばかりで、近代化されたものが何もなく、風景は非常に美しい。そして、被災に遭った三陸のような共同体に近い集落が海に沿って並んでいる。そこは、このままにしておくとおそらく何も起こらないような島なんです。そこで、少しだけ新しい何かを入れることによって島が少し変化していくことを見てみたいと思っています。

今まで僕は、その島で「みんなの家」をつくろうとか、ミカン畑をワイナリーにしてみようとか、断片的に小さなことを考えていたのですが、今日、話を伺いながら、自分がそこでやっていることはもう少し大きな意味を持てるのではないかと、思った次第です。つまり、自分のイメージの中で島全体を未来の公園なり庭園として考える。それは、何かのマスタープランをつくるということではありません。ただ、島全体をそういうとらえ方をすることによって、自分が今まで考えていたことを変え、イメージを膨らませたり、細かいことを繋げていったりするようなことが可能かもしれないと思い始めました。

YCAMとも近い場所にあるので、ぜひ、そういうところから何か交流が始まれば嬉しいと思っています。

井高大変、興味深いお話ありがとうございました。伊東豊雄さんからのお話にもありましたが、このプロジェクトも近代以前と以降という、ある種、断絶しているものを接続していく空間として公園があります。今日のお話も、一つの公共空間のあり方として、公園をどう未来に発展させるためのプラットフォームとして発想していくかというところが共通項だったと思います。

まだまだ発展性のある話で、かつ、プロミス・パークも、今後未来に向けて発展していくものだと考えています。なので、ぜひ皆さんも、この展覧会に足を運んでいただいて、過去の膨大なアーカイブと、ムン・キョンウォンさんの提案する未来の公園というものを、ぜひ実感的に体感していただく機会になればと思っております。 今日は、お二人による素晴らしいプレゼンテーションと意見交換、ありがとうございました。

ムン・キョンウォン
MOON Kyungwon

ソウル(韓国)生まれ。梨花女子大学校卒業後、カリフォルニア芸術大学にて修士号取得。文学的な時間構造を分析し、批評的にアプローチした映像やインスタレーションなど、様々なメディアを通して作品を発表。ソウルスクエアのメディアキャンバスなど、パブリックアートプロジェクトでのインスタレーション展示もおこなっている。主なグループ展に、ドクメンタ13(2012)、光州ビエンナーレ(2012)、シンガポールビエンナーレ(2013)、ホームワークス6, ベイルート(2013)、福岡トリエンナーレ(2014)、深圳インデペンデントアニメーションビエンナーレ(2014)、リール 3000フェスティバル(2015)がある。近年は、ソーシャルプラットフォームを創造することを目的とした、チョン・ジュンホとのコラボレーションプロジェクト「News From Nowhere」に注力し、2015年にスイスのミグロス現代美術館、2013年にシカゴアートインスティテュート内のサリバンギャラリーでの展示をおこなった。2015年、ベネチアビエンナーレ韓国館代表作家。
http://www.newsfromnowhere.kr

伊東 豊雄
Toyo Ito

1965年東京大学工学部建築学科卒業。1965~69年菊竹清訓建築設計事務所勤務。1971年アーバンロボット設立。1979年伊東豊雄建築設計事務所に改称。 主な作品に「せんだいメディアテーク」、「多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)」、「トーレス・ポルタ・フィラ(スペイン)」、「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」、「台湾大学社会科学部棟(台湾)」、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」、「台中国家歌劇院(台湾)」など。ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル、高松宮殿下記念世界文化賞、プリツカー建築賞など受賞。

井高 久美子
Kumiko Idaka

1982年生まれ。キュレーター。東京芸術大学大学院 映像研究科修了(修士)。映像表現を中心に、デジタルデバイスなどの開発に携わりながら、作品制作やワークショップを企画。2012年より現職。主な展覧会に「プロミス・パーク ─ 未来のパターンへのイマジネーション」(2015)、「MEDIA ART/KITCHEN 地域に潜るアジア:参加するオープン・ラボラトリー」(2014)などがある。近年はメディア技術の視点から、ローカルコミュニティと共に、地域資源のリサーチやプロジェクトの企画を行っている。