ソウルにおけるリサーチとワークショップ
- 実施日:2016年5月25日~27日
- 場所:仙遊島(ソニュド)公園、文化駅(ムンフヮヨグ)ソウル284
2016年5月、プロミス・パーク・プロジェクトの一環として、ソウルにおいてリサーチとワークショップのセッションが開かれた。YCAM(山口情報芸術センター)バイオ・リサーチの研究員、エンジニア、建築家、ミュージシャンなど、さまざまな分野の専門家が一堂に会し、新たな公共空間としての未来の公園の可能性を探った。これは、ムン・キョンウォン(文敬媛)の提言を受け、「匂い」というコンセプトに基づく討論と科学実験というかたちで行なわれた。
第1日
第1日のワークショップは、造園、建築、芸術、環境デザインなど諸分野に属する25名の参加者を得て、仙遊島公園で行なわれた。YCAMバイオ・リサーチの津田和俊の指示に従い、参加者は3つのグループに分かれて、酵母菌をもっている可能性のある公園内の植物などの有機物の標本を採取した。津田は参加者に、主として昆虫が媒介する酵母菌が花や果実に取り込まれる仕組みを説明した。こうした情報をもとに、参加者は仙遊島公園内に生きている多数の異なる酵母菌を発見することができた。
我々は標本を文化駅ソウル284に持っていき、酵母菌を直接培養できるよう、生物学的実験を行なった。実験は、空気中の他の微生物を遮断した無菌の箱を手作りして、独立した環境を用意することから始まった。採取に用いた、また実験に用いるすべての道具は完全に滅菌されている必要があった。我々は、仙遊島公園で採取した(採取には密閉された試験管を使用した)生きた標本を、精製水の入った別の試験管に慎重に移した。その際、2本の試験管の蓋が床に触れたり、標本が外気に晒されたりしないよう注意しなければならなかった。それから我々は、試験管を何度も振って、酵母菌を試験管の表面に付着させ、水中に拡散させた。次に点滴容器を用いて酵母菌の混ざった水を数滴、洗浄したペトリ皿に落とした。最後にペトリ皿内の標本の名称を記し、手作りの微生物培養器(温度が30℃に保たれている)に入れた。酵母菌をペトリ皿で1~2日間培養すると、肉眼で確認できるほどの大きさのコロニーが形成された。
第2日
第2日に参加者は再び集まって、前日から培養していた酵母菌を観察した。また各人が標本を発見した場所や、それらの標本の重要性、仙遊島特有の地質学的特徴について討論した。さらに、清渓(チョンゲ)川と仙遊島公園を調査フィールドに選んだ理由について意見を共有し、清渓川で採取した酵母菌の標本をスマートフォンの顕微鏡で調べた。標本は予め培養してあったため、観察は容易になっていた。仙遊島がかつて川に浮かぶ島であったのに対し、清渓川は、長年暗渠となっていたものが都市開発事業の一環で再開発された、セメントで固められた水路沿いの公園である。津田は、今でも清渓川付近には、通常は「蓋をした」環境(暗渠内)に生息するショウジョウバエが多数見られると述べた。彼はまた、さまざまな生態学的要素が近隣住民と関わりをもつとも述べた。
調査旅行に先立って、井高久美子(YCAMキュレーター)、津田和俊(YCAM研究員)、阿部一直(YCAMアーティスティック・ディレクター)、筧康明(メディアアーティスト、慶応大学准教授(湘南藤沢キャンパス))、作曲家タルパランことカン・キヨン、パク・フヮルソン(ワークルームプレス編集主幹)、ユ・ヒョンジュン(建築家、弘益(ホンイク)大学校教授)が、未来の公園の意味、生物工学、公共的連帯について議論した。これは、知覚の媒体であり、特定の場所や物理的環境に限定されない「匂い」というコンセプトから引き出される、多数の象徴的なコンセプトを探る非常に貴重な機会となった。
第3日
最終日は、前2日間のワークショップの成果と関連するすべてのデータについて考察するための一般公開のワークショップとなった。ここでは、これらすべての情報を検討する討論が行なわれた。匂いはほとんど実体がなく、たいてい一時的で、触知可能な方法での記録が困難なものである。その結果、今回我々は、匂いというコンセプトをアートの媒体──それによって、参加者が新たに共有するにいたった種々の歴史的な意味や意義を熟考する──として取り扱った。さらにこれは、「公共の記憶」を喚起する手段という、匂いの新たな可能性を示唆する機会となり、同時に匂いに、連帯の新しい形態という役を担わせることにもつながった。
東京におけるリサーチとフィールドワーク
- 実施日:2016年11月17日~18日
- 場所:明治神宮、新宿御苑、日比谷公園
2016年11月、東京の明治神宮、新宿御苑、日比谷公園においてリサーチが行なわれた。明治神宮では、折しも、来たる2020年の夏季オリンピックに向けてスタジアムの建設が進められていた。我々は、それぞれの公園の地政学的特徴、歴史、構成要素を調べるとともに、それらの歴史的文脈をめぐる意味をも検討した。
明治神宮周辺の明治神宮外苑エリアは、首都の真ん中の緑豊かなオアシスであり、また現在建設中の国立競技場【新国立競技場】も含め、各種スポーツ施設が数多く集まる地区である。付近には、銀杏並木や主として日本の近代史に光を当てた聖徳記念絵画館もある。明治神宮御苑も近く、性質を異にする2つの公園からなる明治神宮周辺地域には12万本もの樹木が茂る。
新宿御苑は、江戸時代(1603~1868)には内藤家の所有地であり、当時は「内藤新宿」と呼ばれていた。内藤家の屋敷と明治時代(1868~1912)に建設された皇室の庭園とが、1949年に公園として公開されたのが新宿御苑である。ここには対称的な配置をもつ美しいフランス式庭園、広い芝地を特徴とするイギリス式景観庭園、大きな池をもつ日本庭園がある。
日比谷公園は、江戸時代には松平備前守などの大名の屋敷の並ぶ区域であり、明治期には練兵場であった。その後「都市公園」として再設計され、1903年、日本で最初の西洋式の近代的公園として開園した。皇居外苑にも近く、園内には戦後の復興の象徴として1961年に建造された大きな噴水がある。また、東京美術学校(現在の東京芸術大学)の津田信夫と岡崎雪声が設計し、1905年に建造された鶴の噴水も特徴の一つである。