今していることのすべてを投げ出し、やめてしまいたいという気持ちになったとき、あれこれ考えた末に私が決まって思いつくのは、公園に行くことである。公園は、私が自分自身を落ち着いて眺め、一息つくことのできる場所である。そこで過ごす時間は格別である。そこにいると、風が私を洗い流し、季節ごとに微妙に変化する色彩と芳香が私を不愉快な現実から切り離してくれる。公園はまた、私に内省の機会も与えてくれる。公園の中で私は、まったく突然に、すべてに関して大きな自信を取り戻す。同様に、私たちの日常生活においても、公園は特別な場所である。それは私たちに、忘れていた人生の意味を思い出させてくれる。時の記憶はたいへん緩慢に過ぎ、明らかに多層をなす多忙な生の憂いと疲れのすべてが一つにまとまる。静寂が私の心に満ちるのはそんなときだ。
公園は人類の文明全体とそれぞれの時代精神とを反映する。公園は、自然への私たちの哀しい切望を慰めるだけではない。それはまた、人類の受けたダメージの多くを癒すという重要な役割を担っている。公園は、生に対する大局的な視点をもたらし、人工の自然でできた都市に暮らす現代人にとって、覚醒の場となる。さらに公園は、政治的目的のため、また地形的な理由から、ときには個人や集団の記念物としてさえ造られている。公園は現在をめぐる問いを回避しつつも、常に答えを過去から得ながら、未来への洞察を提供しているように思われる。
そもそも「公園」という語には
歴史上、公園が基礎としてきた要素とデザインとを調べてみると、ある特定のパターンがあることが明らかである。ここで言うパターンとは、単に視覚的な美あるいは造形性のことではない。それは、まさに私たちが期待するようになった理想世界を反映し、人類の歴史とともに発展してきた後天的な規則に従うものである。環境、社会、教育から引き出された美学的な常識が、すべての公共の場に反映している。それはあらゆる場所に、パターンとなって保持され、増殖する。歴史と情緒の視点から眺めてみるならば、人類史においては、ユートピア建設をめぐる挑戦と失敗が常に繰り返されてきた。個人、社会、国家──そして世界全体さえも──が、その目標を達成しようと挑戦を繰り返し、そのすべてが挫折と失敗の歴史の中に消散した。かくするうちに、そうした努力の証拠として、私たちの生活のあらゆる片隅に廃墟が残された。それゆえ廃墟は、人類が何世紀にもわたって何度も何度も犯した過ちの証拠であり歴史的パターン(文様)に他ならない。それらは視覚的なパターン(文様)というよりはむしろ、私たちが忘却していた私たち自身の欲望その他に解明の光明を投じる、実存的なパターンなのだ。
それにもかかわらず、私たちは廃墟を見ることに慣れていない。廃墟はたいてい、無視されるか集団的に隠蔽されている。これまでに廃墟の上に造られた公園の多くは、廃墟のあらゆる痕跡を消し去ったのちに新たに造られたものである。現在もなお残る痛みと恥とは、別のもので覆い隠されてしまう。私たちの習い性であるそうした美意識および美意識に伴う規則によれば、廃墟の教訓は隠蔽されるものであり、かわりに、忘れられた過去の景観はそこに捧げられることになる。しかし「プロミス・パーク」は、廃墟に内在する記憶や傷を消し去ることをしていない。それどころか、この公園はまさにそうした記憶や傷を暴露する。それゆえこれは、通常の公園の、標準化された政治的パターンからは逸脱したものである。さらに、「プロミス・パーク」の廃墟をめぐる環境上および文化的な状況は、常に運動と産出の行なわれる有機的空間となるべく、今なお前進中である。「プロミス・パーク」は、政治的・社会的な衝突を幾度となくもたらしつつその和解をも生み出す拠点であり続けるだろう。そして無数の未知の可能性を引き出す空間となるだろう。
「プロミス・パーク」は、他の公園に対するオルタナティヴなモデルではない。物理的な公園づくりにコンセプトがあるのではなく、具体化された政治的・美学的パターンに対する批判的視点をもたらし、人々に熟考の機会を提供し、出会いの場を与え、人々が共通の問いを自ら問うことができるようにし、連帯を鼓舞する場を建設することをめざしている。「プロミス・パーク」はプロジェクトの最終目標ではなく、出発点である。それは、覚醒の意識を共有しつつ連帯するという、連帯の新たなかたちを可能にするプラットフォームなのである。