「未来の公園とはどういうものか?」。「プロミス・パーク・プロジェクト」(以下「PPP」)は、アーティスト、ムン・キョンウォンによるこのような問いを出発点に、山口情報芸術センター[YCAM]と共同で進められてきた。その制作過程は、アーティスト、研究者、シティプランナー、エンジニア等、様々な分野の専門家が学際的なワーキンググループを作り、「未来の公園」についてのリサーチとディスカッションを行いながら、共同制作を進めるというものである。リサーチ・ショーケースやワークショップを挟みながら、最終的に展覧会というかたちでその内容が発表された。本書には、そのプロジェクトの2013年から2015年の3年にわたる成果が収録されている。
未来において、人はどのような公園をつくるのか。それも、大規模なカタストロフが生じた未来において。そして、そこで人は公園に何を求めるのか。これらは、人間と自然、都市、芸術、テクノロジー、メディアとの諸関係にまつわる問題であり、人間の存在の根幹に関わる問題提起を含んでいる。とりわけ、2011年の3・11(千年に一度と言われる規模の未曾有の被害を生み出した東日本大震災)を経験した日本において、この問いはリアリティに富むものであり、ムンもまたそのリアリティを深く共有するものである。「PPP」は、建設的な具体的な都市計画をデザインし提案するものではないし、近代的思考を支えてきた発展史観の延長上に新たな定義を図るものではない。「PPP」のアプローチは、むしろ人類学的な視点を伴うもので、人類史や生態系においてなぜ公園のような空間/時間が必要であったのかを、諸都市、諸文明の中からリサーチし、近代公園が過去において覆い隠してしまったものを再照射し、公園の前史としての庭園/庭の意義まで往還させる。その上で公園が再度、都市と新たな結節点や有機的な関係性を生み出せるのか、未来的な公共性の別の次元の可能性を見出す起点となれるのかを問いかけるプロジェクトである。公園は埋没するものでなく、何かを生成する場所と考えるのだ。
メディア史的に見た場合、公園という存在を一種の冷凍保存的装置とみなして、都市の中のなんらかの統合的な新種のアーカイヴ機能としても想像してみたい。公園の結界性。短焦点的歴史観からは見えてこない、長期的な都市の保管機能の可能性がそこに見えてこないだろうか。メディアテクノロジーとネットワークが異常に突出して発展する時代において、都市の意義はすでに変容しており、かつて公園〜庭園が果たした特殊空間の役割はどのように担われることになるのか。このように、未来の公園への問いは多岐にわたる。日頃から様々なアーティストを招聘しリサーチと長期的研究開発&制作体制をとっているYCAMにおいても、本プロジェクトは極めて意欲的なプロジェクトとなっている。
PPPの最初の成果「プロミス・パーク」は、2013年のYCAMで開催された国際グループ展「art and collective intelligence」において発表された。「集合知」と芸術表現を模索するその展示において、ムンは「集合知」が集約される社会性の一例として古今東西の都市に存在する「公園」というキーワードを提示した。2013年の段階では、実写とCGの対比的な2面の映像インスタレーションによって(興味深いことに、そのどちらの映像にも対象としての人間像が登場してこない)、未来の文明が持ちうる自然観とカタストロフの後の未来都市における公園のプレヴィジョンが提示された。
以後、この「プロミス・パーク」をより発展させた大規模展示を2年後にYCAMで開催すること見据え、翌年には、日本庭園史、都市論、建築史、景観学、芸術学など様々な分野の研究者によるリサーチ展「プロミス・パーク・プロジェクト[リサーチ・ショーケース]」が行われた。そこでは、「石」をキーワードに日本における近代以前の公園的空間の系譜を辿る試み(原瑠璃彦「St 1.0──《庭》の石から公園へ」)、日本全国において自然災害や環境の変化を一千年以上乗り越えて維持されてきた集落を多視点的に探る試み(千年村プロジェクト)、都市公園の模範であるニューヨーク、セントラル・パークと現代アーティスト、ロバート・スミッソンの営みとの間の問題系への考察(西翼「1973年のニューヨーク、セントラル・パークを辿る」)、広く芸術史において「公園」が果たした役割を跳躍俯瞰する試み(阿部一直「芸術史にみられる空中庭園、浮遊する空間」)、そして、技術発展において到来する新たな知覚に関するデモンストレーション(YCAM InterLab「未来の知覚──人間と技術の境界」)が提示された。これらは、ムンによる「未来の公園への問い」に対する様々な分野の研究者からなる応答と言うことができ、これにより、「未来の公園」が孕む問題系の地平がより多様に開かれることとなった。これらのリサーチを踏まえ、翌年の新作展示に向けてディスカッションが重ねられ、インスタレーションでの公開を前提に、ムンから新たなキーワードとして提案されたのが、「廃墟」と「絨毯」である。
「廃墟」は、すでに西洋のピクチャレスク美学等においても重要なトピックであるが、なかでもムンが注目したのは、近代産業遺構としての「廃墟」である。それは、人間が自然を支配し、発展史観からのユートピアを作ろうと試みたものの、機能を終えたのちには、最終的には回収不能な時代の遺物として廃棄された痕跡の場であり、それらは今では自然(緑化のオートマティズム)によって侵食されている。近代公園の成立史を振り返るならば、公園は、都市人口の拡大や近代工業産業化の爆発的な発展、金本位制確立の経済発達と同時期に、それらを慰撫・浄化するための人工空間として制度化されたのであった(世界初の公園としてのハイド・パークが世界中に知らしめられることになった、1851年の第1回万国博覧会とは、図らずも国威発揚的な勧業振興、最新工業技術のデモンストレーションと、多彩なスペクタクルや見世物が寄せ集められた民衆のための開放的なリクリエーション空間の確保との、両極の融合の場であったともいえるだろう)。しかし、19世紀中葉から20世紀中葉にかけて大幅に発達を遂げた重工業施設が、反面的に行き場を失った廃墟への一途をたどる現在において、その場所性は、期せずして公園的再利用という文化用途に接近することとなる。今日、脱重工業化が世界的に叫ばれ、情報産業化依存がグローバリズムとともに急速に台頭している。ムンは、その発展史観に空白を設け、「廃墟」の過去の記憶を消し去ることなく、異なった視点からの検証を選ぶ。そこに「未来の公園」の共有点は見出せるのだろうか。
「絨毯」の導入。絨毯は底面を成立させながら、様々な文様(パターン)によって構成されるが、その文様は、歴史の蓄積と濾過によって混合精製された非言語的ゲシュタルトの集合知の祖型ともいうべき表象であり、一種の形態的コードとも読み取れる。そして、そのような集合知としての文様が多数共存させられた絨毯とは、使用するときは敷かれ、使用しないときは巻いて移動することのできるポータブルなものである。それはまさに、ミシェル・フーコーが述べるように「ポータブルな庭園」であり、現代におけるメディア表現にとっても大いに示唆的な存在である。
これらのキーワードを出発点に、新作制作・展示に向けて新たなリサーチが進められたが、強調しておきたいのは、リサーチの一環として、プロジェクト・メンバーが様々な土地に実際に足を運ぶフィールドワークが実施されたことである。日本国内外の多数の公園の他に、YCAM周辺では、日本で有数の良質な石炭の産地であった地元山口市の多数の近代産業遺構(それは隣接国である韓国とも深い繋がりを持つ)と、それとは対称的な古代から継承されている様々な公共空間における石のスポットが遍歴されることとなった。なかでも特筆すべきは、国際連盟の設立への寄与や情報学の父として知られるベルギー人、ポール・オトレが20世紀初頭に構想し、空間構想をル・コルビュジェに委託したムンダネウム計画である。彼は、人類のありとあらゆる知を集積させる壮大な都市計画をブリュッセル、ジュネーヴにおいて立てていたが、我々のフィールドワークは、その継承的施設の存在するベルギーの小都市モンスにまで及んだ。オトレは「インターネットの父」とも言われるが、ムンダネウム計画は「集合知」としての公園を探求する「PPP」にとって重要な参照項となった。
最終的に、2015年のYCAMでの大規模新作展示「プロミス・パーク - 未来のパターンへのイマジネーション」では、複数の廃墟画像から生成されたイメージを織り込む巨大なジャガード織りの絨毯と、廃墟のドローン撮影による映像にCGを加えた映像作品という2つの新作インスタレーションに結実した。織物のインスタレーションでは特に、300年の伝統を誇る京都西陣織の老舗とコラボレーションし、2次元平面に多層なデジタルイメージを多重に織り込む巨大な絨毯を制作した。(これは西陣織に適応できるデジタルソフトウェア開発も共同研究している。)また、前年のリサーチ展の発展形として、近代公園のケーススタディと都市空間における公共性の要である「石」を、人類史的な視点でのアーカイヴとみなし、山口市に限ってフォールドワークした成果をまとめた、巨視的かつ微視的視点による「公園」のビジュアル・アーカイヴからなるインスタレーション、パーク・アトラスが展示された。
振り返るならば、「PPP」は、2014年のリサーチ展を経て、固有名詞的なローカリティを獲得するとともに、実体的なマテリアリティを有するようになったと言えるだろう。2013年の「PP」は、どこでもない(ある意味で)非場所の風景とCGで創作された非場所の風景の対比による二面の映像作品であったが、2015年にそれらは、内容においては、現実に遺された山口や長崎の上空撮影映像(実写にCG加工を追加したもの)を取り入れることとなり、形式においては、実際に触れることのできる織物の絨毯と映像の絨毯の対比として実体化されるようになった。そして、その上で「PP」はより強度のある普遍性を獲得するに至ったと思われる。2013年に、ムンが提示していた未来都市における空中庭園のCGイメージに全く似通った実イメージが、山口〜美祢の炭鉱廃墟、長崎の軍艦島の高画質ドローン撮影によって得られたことは、誰もが驚いた瞬間であり、ムンのアーティストとしての予見の力を立証することとなった。
二つのインスタレーション作品と、その間に挟まれるリサーチ展示としてのパーク・アトラス。2015年の展示は、結果的に極めてシンプルな仕上がりとなったが、その背景にあるリサーチと思考のプロセスは膨大である。その全体像は「プロミス・パークのための用語集」によって描かれるが、各トピックをより掘り下げるものとして、絨毯というメディアの意義、その新しい可能性、歴史的背景についてのドキュメント(阿部一直、古舘健、細尾真孝「メディアとしての絨毯」)、また、山口市というローカリティから公園を思考することの妥当性についての論考(阿部一直「公園都市という仮説:山口市」)、さらに、パーク・アトラスの制作過程とその内容、コンセプトについての論考(原瑠璃彦「パーク・アトラスへの六章──世界のアーカイヴ空間としての公園を想起するために」)が本書に収められている。
「PPP」は、公園に関係する諸分野との交流によって成立しているものの、あくまでアートの領域探求から「未来の公園」へのヴィジョンを提示しようとするものである。それゆえ、ここで言う「公園」は、一般的な都市計画、ランドスケープ・デザインにおける方向性や災害時における対比場所のプラクティカルデザインなどとはまた、眼差しを異にするものである。「PPP」が提案する独自の「公園」の概念は、3年の歳月を経て、ようやく各領域からのリサーチ結果と想像の交差が輪郭を明確に持ちはじめたように思われる。
「PPP」の野心的な側面は、展示作品に成果を収束させるだけのものではない点にある。ムンおよびYCAMは、将来的な公共文化機関としてのアートセンターの役割を、美術作品の展示に限定するものではなく、作品制作+ラボ研究リサーチ+ワークショップ開発+人材教育の複合的なグループワークを生み出す場として構想し提案したいと考えている。「PPP」はそのための実践的な実験でもある。本書は、あくまで、2013年から2015年の3年間の過程をまとめたものであり、「PPP」は今後も継続していく予定で、本書はあくまで思考の入り口であり、提案なのである。すでに次なるステップが始まっており、本書のエピローグでは、2016年以降、空間や土地と「香」の関係に焦点を当てた次なる展開についても触れられている。2016年には、文化駅ソウル284にて「プロミスパーク - 未来の公園への提案:香」と題し、ワークショップとディスカッションを開催した。ワークショップでは、漢江川に浮かぶ仙遊島公園にて、バイオテクノロジーを応用したフィールドワークを実施し、酵母を採取することで、生態系の視座から公園を紐解く実践的な試みを行った。また未来の公園像を様々な都市に応用、展開していく手立てとして、ソウルにおける公園や廃墟の考察(From Post-industrial Ruin to Sublime Park: Seonyudo Park, Seoul / PAE Jeong Hann、Human, environment, Park / YOO Hyunjoon)、さらに、日本の特異な公園の事例である東京の中心部の「明治神宮」の考察(原瑠璃彦「明治神宮小考 - 後ろでつなぎあわされた特異な二元的「公園」について」が収録されているが、それらは次への展開のプロローグとなるはずのものである。